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ニキビを治したい方へ

それとは逆に、「受験で成功したいため」や「親や先生にほめられたいから」という答えは、あまり好ましくないと見なされる。 つまり、単純化して言えば、自分(自己)の外側から、与えられたり強制されたりするよりも、「本当の自分の内なる声」にしたがう行為を、より望ましいと見なす見方である。

その意味で、突き詰めれば、「本当の自分」という自己の真正性(本当の自分であることの本当らしさの優越性)を前提にした議論である。 このような考え方は、外側からの働きかけを、介入や管理と見なし、「抑圧」として嫌う見方に通じている。
なるほど、もっともな見方である。 誰しも、他人から強制されて何かをやるより、自分がやりたいと思っていることを、自分がやりたいようにやるほうがよいと思うだろう。
「本当の自分の内なる声」を正しさの判断基準におく考えは、個人の人権が尊重される時代にマチした考え方でもある。 また、「自己責任」を重視する時代の文化的反映でもある。
アメリカを中心に進む文化変容のひとつは、個人主義の思想が、こうした自己の真正性に傾斜しつつあることだ。 つまり、日本だけの傾向ではないのである。
日本の教育界の「新しい学力観」が、指導者ではなく「支援者」としての教師像を理想と見たのも、外部からの介入をできるだけ避けることが望ましい教育だという、この「本当の自分」を大切に、という思潮に裏打ちされていたからだ。 このようなことが好ましいとされるのは、教育だけに限らない。
「本当の自分」が発する「内なる声」にしたがうことを〈正しさ〉や〈望ましさ〉の根拠と見る見方か、教育の場面によらずに社会的な支持を受けている。 「自分らしさ」を発揮できる職業に就くことか望ましい、といった職業観はそのひとつだ。
教育では特に「自ら学ぶ」とか「関心、意欲」や「自己実現」「自己理解」といった用語の普及によって、こうした「内なる声」の正しさ、望ましさを支える、「自己の語彙」(自分を起点に物事を考えることをよしとする言葉の数々)をたくさん用意してきた。 こういう語彙か増えていくことは、私たちが、そうした自己のあり方を望ましいこととして認め始めていることの証拠である。
同時に、そうした語彙によって、私たちは、その望ましさをさらに認めるようになる。 そういう循環の関係をつくり出している。

さて、それでは、こうやって「個人」と「自己」の区別をしたうえで、いよいよ子ども中心主義教育の問題点に切り込むことにしょう。

今回はファンデーションジャンルという、ファンデーションの興味を持てるテーマの説明文です。

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